帰らずの岸辺

ドコノモリ
ドコノモリの奥深くに「帰らずの岸辺」と呼ばれる、たいそう美しい岸辺があります。
岸辺の砂は白く丸く、砂を洗う水は透きとおって水底深くまで見とおせるほどです。
この美しい岸辺に立つと、ずっとはるか沖に島影がぼんやりと見えます。
はっきり見ようと思って双眼鏡を手にしてもその姿は定まらず、ひょっとしたらそれは幻ではないかと疑う者もおります。
いやいや、あれは絶対に島にちがいない。
じっと目をこらすと、チラチラとあかりのようなものが見えるし、幽かに何かが聞こえてくるような気がするという者もおります。
そうやってあれやこれや思案する者の脇には、立て札が一つ砂にさしてありました。
「この浜辺から船出する人は、捨てて行かねばならぬ物がある。
持って行ける物は、とても少ない。
重さのあるものを全て捨て、心して行け。」・・・と。

さて、この「帰らずの岸辺」で或る夜に起こったことをお話ししましょう。
そう、これは遠い昔のおはなしです。
ドコノモリが生まれて間もない頃、人間たちがこの浜辺から船出したまま戻って来なかった頃のことです。

その夜は満月で、空全体が明るく輝いていました。
雲が沢山出ていましたが、月の光がその雲を照らし、雲は輝く船団のように明るい空の海に漂っていました。

いつもとは違う気配が、空にありました。
そして帰らずの岸辺にも、その気配が下りてきたのです。

男がひとり、岸辺に立っていました。
遠く沖合を眺めていました。
「この先にいったい何があるのだろう?
沢山の人がこの岸辺から出発したと聞いているが、誰ひとり帰ってきた者がないという。
月の光が、岸辺にも沖合のあの気になるところにも降り注いでいる。
いつもの波も、輝いて別世界への通り道のようだ。
よしっ、行ってみよう。この眼で確かめてみよう。」
男は、予て用意してあった木の小舟に乗り込み、オールを握って漕ぎ出しました。
けれど、じきに困ったことが起きたのです。
小舟は、ぐるぐると同じところを回りだしたのです。
オールをあやつる男は、けんめいに舟の行く手を沖合いの島影へと合わせましたが、波はこれ以上行ってはならぬと渦を巻き、そしてだんだんと凍り始めたのです。
ただならぬ成り行きに男は驚きましたが、いちど火のついた探求の心はあきらめることを知りませんでした。
心の中の火が燃え盛っていたのです。

小舟がこれ以上進むことが出来ないと判断すると、男は小舟から身を投げ、島影に向かって泳ぎ始めました。
薄く張った氷が男の体にぶつかり、肌を傷つけました。
氷はぐんぐんと厚みを増して、行く手を遮ろうとしました。
行くことも出来ず、帰ることも出来ないくらいに氷に囲まれた男は、今度は水底深くもぐりました。
どのくらい夢中で泳いだのか・・・、息苦しくなって水面へ上がった時、思いがけず氷の一部が割れているのを見つけました。
男はけんめいにそのわずかな隙間をこじあけて、氷の上に這い上がりました。
男は、残っていた力をふり絞って氷の上を歩いて行き、ようやく草の生い茂る岸へと足を踏み入れることが出来ました。

男が見たものは、月の光でした。
月の光が、島全体をこの世ならぬ世界にしていたのでした。
月の光に照らされた夜の森は銀色に輝き、樹々の間をぬって流れて行く渓流は、細かな水晶の粒のぶつかりあう音がしていました。
全ては、月の光のなせる術でした。
男は、美しい月の光を浴びて、心から湧きあがってくる喜びと何かに向かって、祈りを捧げたいという思いで、体が熱くなりました。

男は、さらに島の奥へと進んで行きました。
けれど、その後に見たものを、言葉で言うことも絵に描くことも出来ません。

男が分かったのは、「帰らずの岸辺」からこの島へたどりついた人たちのことでした。
彼らは体をなくし、漂っていました。
漂って遊んでいたのです。
自分の夢と遊んでいたのです。

「月の光なのだよ。全ては月の光なのだよ!」と男が叫んでも、彼らには聞く耳がなく、見るための眼がありませんでした。
男は、ようやく気がつきました。
この人たちは、戻る気持ちがないことに。
体と記憶を、自分からすすんで捨ててしまったことに。
男は震えながらも言いました。
「わたしは見たぞ。この眼で。見ることで、月の光をわが胸に収めることが出来たぞ。この喜びを記憶の箱に入れて帰ろう!」
男は、こうして島を後にしました。
帰り道も困難でした。
男は、何としても月の光が与えてくれた「喜び」を持ち帰るために、軽い体の鳥になって「帰らずの岸辺」に戻ったのでした。
「わたしは戻って来た!『私』とともに戻った!『私』がやらねばならないことを果たすために!」
そう言って小鳥になった男は、ドコノモリの奥深くへ入って行きました。

ミッケくんとクマオがこれから行く「扉のある樹」の番人であり、今も扉に彫り物をしている小鳥は、実はこの男なのです。

2014.2.18(第14回)

帰らずの岸辺」への2件のフィードバック

  1. モリタ 招桜

    ドコノモリのお友達を、名前と姿をメモしておき、それを見ながらいつも読んでおります。

    予想もしない展開に、さすがと感服し、早く読み進んでゆきたい衝動にいつも駆られております。

    いつの間にか、ドコノモリに入って無心に遊んでいる私は、子育ての樹のお母さんに抱かれ、心地よく眠ってしまっているのです。

    何度もゆっくりと読み返したいので初めから14回迄印刷しました。

    時間に追われる日々、お疲れの出ぬよう無理せずお続け下さいね。元気でいることも仕事の内です。

    そう言いながら夢中になってしまうと何時になったのかさえ分からぬ人がここにもいますが…

    真知子さんと出会えて本当に良かった。いつも感謝です。

    言葉がこんなに豊富で一つ一つ生きていて、読者を温かく包み、表現がしっくりくるので大好きな別世界にすぐはいれます。

    文章が苦手な私です。ご理解ください。

    ご主人の写真も大好きです。お二人ともお元気でお過ごしください。

    返信
    1. machiko

      コメントありがとうございました。
      ドコノモリを、たっぷり楽しんでいらっしゃると知り、とても嬉しくなりました。
      さて、第15回のお話しが出来上がり、これから挿し絵を、と思っているところです。
      扉のある木、番人の小鳥・・・
      さて、どのようになりますか・・・
      お楽しみに!
      いつも、本当にありがとうございます。
      どうぞ、お元気で。

      返信

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